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「淡島」
夕食後、そう呼ばれて振り返るとイタクがいつになく真剣な面持ちで手招きをした。
元々あまりふざけるような事はしないイタクの事だ。明日の稽古の事とかそういう類の話だろう。
…これが恋バナとかだったらそれはそれで面白いかもしんねーな。そんな事を思いながらオレは黙ってイタクの後を追った。

「脱げ」
空き部屋に連れ込まれたと思ったら突然そう言われた。
「今何つった?」
イタクの言葉がわからないわけじゃない。ただ、あまりにも予想外だったから自分の耳が信じられなくて思わず聞き返してしまう。
「脱げ、と言ったんだ。さっさとしろ。」
ああやっぱり聞き違いなんかじゃなかった。オレはイタクの言葉をもう一度頭の中で繰り返す。それでも何かひっかかって、イタクの顔をいぶかしげに見上げた。
「…脱ぐのは別にいーけどよ、どうしたんだ急に。やりてーのか?」
だったらわざわざこんな部屋にこなくても…そう続けると、「そんなんじゃねーよ」と遮るように返される。
別にふざけているつもりはないけれどイタクは少し苛立っているようで、その要求に応える必要性もないはずなのに、オレは言われた通りにするしかないと感じてしまった。
…オレが何かしたのか?思い返しても心当たりはない。やるわけでもないのにこんな所に連れ込んで脱がせるってどういう事だ?
困惑してためらうオレに、相変わらずイタクは「さっさと脱げ」という視線を投げかけてくる。
なんでオレがこんな目に遭わなければならねーんだ…。
どうして強気な態度をとれないのか自分でもわからなかった。ただ、この空気が気まずくて早くどうにかしたかった。それにはイタクの要求を呑むしかない。いつもイタクたちと一緒に風呂に入っているから今更脱ぐのなんて平気なはずなのに、それも抵抗があった。
「何だよ、ひとりで服も脱げねーのか?」
イタクの言葉が得体の知れない恐怖に襲われるオレの緊張に拍車をかける。
「…んで、なんで脱がなきゃいけねーんだよ?」
ようやく本音を言ったオレはきっと泣きそうな顔をしていたに違いない。そんなオレを見て、イタクは呆れたように大きなため息をついた。
「…いーから脱げよ。」
「だからなんで……」
オレの抗議なんかお構いなしに、イタクは中途半端に脱ぎかけた着物を脱がせる。
上半身が露になったオレの体をじっと眺めると、そのまま両手をまとめて上に持ち上げた。
「痛っ…」
得体の知れない恐怖はイタクの目的がわからないせいだという事に今頃気付いた。
イタクの目的は最初からそれだったからだ。
「やっぱりな……」
持ち上げた両手を解放してそう呟くイタクと目が合わせられなかった。
「何だよ、てめーのつけた傷だろ!じろじろ見んなよ。」
左のわき腹の傷を右手で覆い隠しながら、オレは精一杯の厭味を吐いた。それは今日の稽古でイタクと戦った時に負った傷だった。でも別にイタクが悪いわけじゃない。オレが油断しただけだ。
イタクはオレの強がりを見透かしたようにもう一度ため息をつくと、懐から塗り薬を取り出して「塗っとけ」と一言だけ言った。
「なんで…」
「手当てしろって言ったのにお前がきかないからだ」
さっきから同じ事しか言えないオレにイタクはそう答えた。
「こんな傷大したことねーよ。よくある事だし。」
そうだ、よくある事だ。イタクに気にされるような事じゃない。
「傷庇いながら風呂に入ってた奴が偉そうに言うんじゃねえよ。」
ばれた、と思うと顔が熱くなる気がした。
「なんで…そんなに気にするんだよ」
これくらいの傷は何度も負っている。大したことじゃない、というのも間違いなく本心だ。
それはイタクもわかっているはずなのに。
「……オレが嫌なんだよ」
「え?」
「だから、お前の体に痕残るのが嫌だって言ってるんだよ」
至極当然のようにイタクは言った。
なんで、と喉元まで出かかった言葉を飲み込む。やめておこう、これ以上のやりとりはイタクを余計に苛立たせるだけだ。
それにそう言われるのは悪い気はしない。
「…お前が嫌なら、そうする。」
こそばゆい気持ちを抱えながらぽつりとそうこぼすと、「最初から素直に言うこときいてりゃいーんだよ」と素っ気無くイタクは言い捨てた。
イタクが気にしてくれるんなら別に傷なんか消えなくてもいいんだけど、と思いながら、オレは黙って薬を受け取った。





***
お題を別の方と分けて書こうと思っていた小話です。
当初とタイトルは違います。

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